名古屋大学 大学院創薬科学研究科 細胞薬効解析学分野の西村 優利 博士後期課程大学院生、小坂田 文隆 教授らの研究グループは、多能性幹細胞(iPS細胞)からヒト脳の神経回路を試験管内で再構築する系を確立し、ヒト脳における神経回路形成原理の一端を解明しました。
ヒトで高度に発達した認知などの脳機能を支えるのは、大脳皮質に形成される神経回路です。自閉スペクトラム症に代表される神経発達症では、この神経回路の構造や機能が破綻すると考えられており、ヒト大脳皮質の神経回路の形成過程を研究することは、神経発達症の治療法の開発に繋がると期待されています。しかし、ヒトの脳で直接研究を進めることには倫理的な障壁が大きく、ヒトを対象とした神経回路研究は困難でした。本研究では、ヒト神経回路を研究するために、ヒトiPS細胞からヒト大脳皮質の神経回路を試験管内で再構築しました。ヒトiPS細胞から大脳皮質オルガノイドと視床オルガノイドを作製し、それらを融合した「アセンブロイド」を作製したところ、大脳皮質と視床の間に神経接続が形成されました。特定の細胞集団に生体大脳皮質に特徴的な神経活動が観察され、この細胞集団特異的な神経活動は視床との相互作用により形成されることを明らかにしました。本研究成果は、ヒト脳における神経回路形成の理解を深めるだけでなく、神経発達症の病態の解明や創薬・再生医療への貢献が期待されます。
本研究成果は、2025年11月18日(日本時間)付で米国の科学雑誌 『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America』 に掲載されました。
【ポイント】
・高度な認知機能を担うヒト大脳皮質の神経回路を、ヒトiPS細胞から作った大脳皮質と視床のオルガノイドを融合させた「アセンブロイド」を用いて試験管内で再現。
・細胞種特異的なヒト大脳皮質の神経回路が、視床との相互作用により形成されることを初めて発見。
・自閉スペクトラム症など神経発達症の病態解明や創薬・再生医療への応用に期待。
【研究概要】
1.研究背景
私たちヒトの大脳皮質には様々な種類の神経細胞が存在し、それらが脳の他の領域と適切に連絡し合うことで、知覚や認知、判断などの脳機能が生まれます。これまでの齧歯類を用いた研究により、脳の奥深くに位置する視床が、大脳皮質の神経回路形成と密接に関わることが明らかにされてきました。しかし、ヒトの大脳皮質では、視床と大脳皮質の相互作用が神経回路の形成にどのように影響するのかは、倫理的制約や試料入手の難しさから明らかではありませんでした。
そこで近年注目されているのがヒト多能性幹細胞(iPS細胞)から分化誘導されたオルガノイドです。特に、オルガノイドを融合させたアセンブロイドは、ヒト脳の神経回路の一部を試験管内で再現できるため、ヒト脳の神経回路形成の原理を研究するための極めて有用な手法です。そこで本研究では、オルガノイド/アセンブロイド技術を活用し、視床と大脳皮質の相互作用が、ヒト大脳皮質の神経回路形成に及ぼす影響を解明することに挑みました。
2.研究内容
ヒト脳内における視床-大脳皮質の相互作用を試験管内で再構築するため、ヒトiPS細胞からアセンブロイドの作製を行いました。まず大脳皮質を再現する大脳皮質オルガノイド、視床を再現する視床オルガノイドそれぞれを、異なる色の蛍光タンパク質を発現するiPS細胞から分化誘導しました。それらのオルガノイドを物理的に融合させたアセンブロイドを作製したところ、このアセンブロイドでは、視床の神経細胞が大脳皮質側へ神経突起を伸展し、その後、大脳皮質の神経細胞が視床側へ突起を伸展させ、相互にシナプスが形成されました。この結果から、作製したアセンブロイドにおいて、脳内の発生過程に見られるような順序で領域間相互作用が形成されることが示唆されました。
次に、アセンブロイドの遺伝子発現を調べたところ、アセンブロイドの大脳皮質側の遺伝子発現パターンが単独の大脳皮質オルガノイドのものよりも成熟度が高いことが分かりました。このことから、視床と大脳皮質の相互作用が大脳皮質の発達・成熟を加速していることが明らかとなりました。
さらに、作製したアセンブロイドを用いて、視床と大脳皮質の相互作用が大脳皮質の神経回路形成に与える影響を解析しました。脳内の神経細胞は神経活動を介して他の神経細胞と情報伝達をしています。神経回路が成熟するとともに、個々の神経細胞のつながりが強くなり、複数の神経細胞が同時に活動する“同期的な”神経活動ネットワークが形成されます。そこで、視床と大脳皮質の相互作用が、この神経活動ネットワークにどのように寄与しているかを明らかにするため、アセンブロイドの神経活動を測定しました。その結果、アセンブロイドにおいて、視床から大脳皮質へ神経活動が波のように広がり、大脳皮質に同期的な神経活動ネットワークを生み出すことを見出しました。
生体の大脳皮質にはさまざまな神経細胞が存在しており、それぞれが特定の脳領域と連絡し、個々の神経回路を形成することで脳機能を担っています。どの神経細胞種がどのように神経回路を形成しているかを明らかにすることは、ヒト大脳皮質の神経回路形成原理を理解するうえで重要です。大脳皮質の興奮性神経細胞は、投射パターンによりIT(大脳内タイプ)、 PT(錐体路タイプ)、 CT(皮質視床タイプ)の3種類の神経細胞種に大別されます。そこで、アセンブロイドの中でこれら3種類の興奮性神経細胞の神経活動を計測し、どの神経細胞種で同期的な神経活動ネットワークが形成されているかを評価しました。その結果、視床に投射するPTタイプとCTタイプの2種類の神経細胞種において同期的な神経活動ネットワーク形成が観察され、ITタイプでは同期が見られないことが分かりました。アセンブロイドにおいて、視床入力が特定の細胞種の神経回路を優先的に形成させ、機能的な成熟を促すことが示唆されました。
【成果の意義】
本研究では、ヒトiPS細胞からアセンブロイドを作製することで、試験管内でヒト神経回路を再構築し、ヒト神経回路の発生や構造・機能を細胞種レベルで解析できるシステムを確立しました。このアセンブロイドを用いて、視床と大脳皮質の相互作用がヒト大脳皮質における特定の神経回路形成を促進することを初めて明らかにしました。本研究成果は、ヒト脳における神経回路がどのように作り上げられるかという「設計原理」に新たな知見をもたらすものであり、「脳を作ることで理解する」構成論的アプローチの大きな前進です。また、自閉スペクトラム症などの神経発達症では、大脳皮質の神経回路の発生や発達、構造や機能の破綻が認められています。本研究で確立したヒト脳アセンブロイドを病態解析や創薬スクリーニングへ応用することで、神経発達症に対する新たな治療法や創薬につながると見込まれます。さらに、機能的な神経組織を用いた次世代の再生医療への展開も期待されます。
本研究は、科学研究費補助金、 JSTのCREST、 AMEDのCRESTおよび Brain/MINDS 2.0などの支援のもとで行われたものです。
【用語説明】
注1) 大脳皮質:
脳の表面を覆う層状の組織で、 「考える」「感じる」「動かす」といった高次な機能を担う。
注2) 神経回路:
神経細胞同士がシナプスという構造によりつながり、情報をやりとりする“配線”のこと。神経回路で情報が処理・伝達されることで、知覚や運動、認知、記憶などの機能が生まれる。
注3) 視床:
脳の中心近くにある中継ハブのような領域。 目や耳などからの感覚情報や、 運動に関わる信号を大脳皮質に送り出します。活動のリズムづくりにも重要な役割を果たす。
注4) オルガノイド:
幹細胞などから作られた立体組織。 生体の組織・臓器の細胞の種類、構造や機能の一部を試験管内で再現できる。
注5) 神経発達症:
脳の発生・発達の過程で神経細胞の発生や、神経回路のつながり方や働き方に異常が生じることで、 行動・感覚・学習・コミュニケーションなどに特性があらわれる状態の総称。自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)、 知的発達症などが含まれる。
注6) 神経活動:
神経細胞が情報をやり取りするときに起こる電気的な変化のこと。この活動が同期して起こることで、 複数の細胞が1つのネットワークとしてまとまって働くようになる。
【論文情報】
雑誌名:Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America
論文タイトル:Thalamus-cortex interactions drive cell type-specific cortical development in human pluripotent stem cell-derived assembloids
著者:Masatoshi Nishimura、 Shota Adachi、 Tomoki Kodera、 Akinori Y. Sato、 Ryosuke F. Takeuchi、 Fumitaka Osakada
DOI: https://doi.org/10.1073/pnas.2506573122















